今日は朝から継続コーチング、コーチング勉強会の講師をやり、脳が早くも疲労を感じたので、夜のコーチング講座までに少し脳を回復させようと横になっていた。
するとなんだか気持ちの悪い呪文のような言葉が耳に入り目覚めた。 どうやら私は1時間ほど寝ていたらしい。
しばらく寝たふりを続けながら話を聞いていると、長男とベビーシッターとして雇っている母の会話によって、私の心は過去の暗闇の時代に引きずられていくように感じた。
どうも話の展開を聴くと長男は次男のクリスマスプレゼントのLEGOを頼まれて作ったのだが、その一部を次男は既に分解してしまったらしい。
それに対して、何故だか母が怒っているのだ。
「せっかくお兄ちゃんが作ってくれたのに」
「せっかくサンタさんが持ってきてくれたのに」
ずっとこの言葉を呪文のように呟いている。
しばらくするとその呪文は長男にも乗り移り
「せっかく僕が作ってあげたのに」
「せっかく僕のプレゼントより先に作ってあげたのに」
「せっかく2時間もかけて作ってあげたのに」
と、こちらも呪文のようだ。
当の次男は何をしているかと言うと昼寝をしている私の布団に入りこみ、大変健やかな寝息をたてている。
つまり本人に聞こえていないところで、母と長男はこの言葉を唱えている訳だ。
私の幼い頃も母がそうやってイライラしながら「せっかく○○してあげたのに」と家族全員に対して呟いていた。
その時間が大嫌いで家を飛び出したくなりながら「頼んでないのに」という想いを飲み込み、母のイライラが収まるのを、コタツやソファで寝たふりをして待っていたのを何十年ぶりに思い出した。
きっと次男もその呪文が嫌になって布団に潜りにきたのだな。
と推測できた私は、あたかも今起きたふりをして、寝ていた和室からリビングに出ると、「せっかく」の呪文を唱えている二人の顔が同時に私へ向いた。
その眉間にはシワがよっていた。
母はバラバラになったパーツを集め、長男はそのパーツで作っているのだが、次男が取り扱い説明書をもう無くしてしまった為、勘を頼らなくてはいけないようだ。
長男と母はそのぶつけようがない怒りを私に当ててきた。
ひとしきり言いたいことを受け取った上で、長男だけ自分のところへ呼んだ。
「せっかく作ったLEGOを壊されたから、仕方なくまた作ってあげてる」 と彼は言う。
普段「せっかく」という言葉を使わない彼だ。
今日のばあばの口癖が早くも伝染していることについて、近くで関わる大人の影響力、ネガティブな言葉の影響力に改めて驚愕しつつ、私はこう続けた。
「これは弟のだし、ママはせっかくやってあげたのに。って言うのなら、お兄ちゃんが今やりたいことを楽しんでやって欲しいと思う。昨日はありがとう。今は何をやりたいの?」
そう言うと彼は固まった。
しばらくして違うオモチャで遊び始めたが、どうやら分解された飛行機のLEGOが気になるらしい。
あえて近くで仕事をしながら静観していると、憑き物が取れたようないつもの爽やかな表情で私にこう言いにきた。
「今、僕あの飛行機を作りなおしたい。作品を綺麗な状態に戻したいから、やるね!」 と言いに来たので、
私は「そっか。作りたいんだね。じゃーまた見せてね。」と言うと笑顔で飛行機を作り出した。 この姿を見て、今の現状をどう認識するかで同じ環境もまるで違う景色になるのだというのを長男の反応で見せてもらったように思う。
今日冷静に対応していた私も、こと夫に対してはまだまだ「せっかく○○してあげたのに」といった感情が自分の心を蝕み、当てどころのない苛立ちの海に飲まれそうになることがある。
ただ、コーチングを学んで良かったところの1つは、どんな思い込みや決めつけがあるかを自分で気づくことができるようになれたことだ。
気づかないとその感情に振り回されるが、気づけば扱い方を工夫できる。
今回の例でいくと 「お兄ちゃんがこんなに頑張って作ってあげたんだから弟は大切にするべきだ」 という決めつけが存在していた。
ただ実際は本当に「やってあげていた」のだろうか。
昨日弟のLEGOを作る長男はとても楽しそうだったし、 「僕は弟の分も僕の分も2つ作れてラッキーだ!」と言っていたくらいで、 「やってあげた」ではなく「やりたいからやっていた」にしか見えなかった。
これが突如「せっかくやってあげたのに」にすり替わってしまっている。
生きていると相手の反応を期待してしまうことはあるし、それは決して悪いことではない。
ただ「こうあるべきだ」が自分に対しても他人に対しても強い人ほど、予想と反する反応が来た時の耐性が弱く、感情が乱される傾向があるのではないだろうか。
飛行機を見せに来た長男に対して私はこう伝えた。
「自分がやったことに対して見返りを求めて生きてきてママは今日のお兄ちゃんみたいにいつも苦しくなっちゃってたからコーチングを勉強したんだよ。どうして「やりたい」ことだったのに「せっかくやってあげたこと」になっちゃったんだろうね。」
この問いの答えは長男からは返ってこなかった。
いつかまたその答えに「はっ」と気づいた時が来たら教えてくれるらしい。
そこにきっと彼が大切にしているものがあるのだと思う。
誰かの為に「やりたい」と思ってやった時に、本当は既に自分自身もたくさんのものを享受していることがある。
そう思えば少しだけ「せっかくしてあげた」の感情が薄まることもあるのではないだろうか。
そこに気づける心の余裕を持ち合わせて生きていく姿が、息子たちの未来を温かくすると信じて。
さて、今日も家事をこんなにやってあげたのに!と夫にイライラしてしまったから、夫に素直に「褒めて」と言おう。
そう言える夫婦関係である為の努力も続けていこう。
近い人ほど「せっかく」と思ってしまうものだから、そんな時は「やってあげたのに」の言葉のもっと深いところにある、本当の声に耳を傾けてあげてみると答えがあるのかもしれない。
TCS認定プロフェッショナルコーチ
マザーズコーチングスクール認定シニアマザーズティーチャー
PAA認定パートナーシップコーチ
西田みゆき
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